悲しいお知らせです
おばぁちゃんの飼ってる猫のタマが、
亡くなりました。
タマの事を長々とまとめて書いてるだけなんで興味のない方はスルーしてね
去年、おばぁちゃんが入院中に私が
住み込みで猫の世話をしてて、
元気がないので病院に行って、
タマが腎不全末期で一週間もつかわからないと言われ信じられませんでした。
お医者さんに、このまま自然に看取るか、毎日点滴に通って無理やり延命するか…
みたいな話を聞きながら若干混乱して頭が真っ白でどうしていいかわからず考えさせてくだだい的な感じに予約も取らずに帰っちゃいました汗(馬鹿野郎です)
急いでお母さんに相談したら迷うことなく点滴に通うしかないって即答されたような気がしました。(さすが愛猫家)
毎日毎日点滴に通いました。
腎不全と分かってからタマを猫部屋から家の中に入れて一緒に床でカーペットで寝るようにしました。
(でも私猫アレルギー)
エサやらトイレを設置して快適な環境を作ろうとしました。
腎不全と言われてから数日で、みるみる弱りエサも食べれず食べても嘔吐してあまり歩けなくなり血便の下痢とかになってもうダメだと思いました。
お医者さんに言われて強制給餌を開始して良いと言われることをいっぱい試しました。
下痢でお尻の毛が大変なことになったのでバリカンで狩ってもらって拭き取りやすくしてもらい(ごめんよタマくん)
トイレの段差が登れないので弟の読み終わった雑誌とかにおしっこシートを巻きつけて階段をつくり床にも外していいようにシート敷き詰め餌の高さも食べやすい位置まで上げたり。
板間で滑ってこけないようにマット敷いてトイレまでの道をつくったり
もうダメだかもしれないと思って毎日悲しくて仕方なかったです。
でも夜中は少し元気でお水をガブガブのんだり歩いたりくっついてくれて一緒に寝ました。
水を飲むたび顎がびしょ濡れなので毎回拭いてあげたり
歯茎が弱ってて顔が腫れたり口から血が出たりしました。
腎不全になると貧血も悪化して毎日口が真っ白に。。。
上質なタンパク質を食べさせると良いとか調べてカレイを買ってきてゆでて砕いてあげました。
こう見ると元気そうですw
毎日タマと共に引きこもったり日向ぼっこをしてブラッシングして血行を良くしようとマッサージもしていっぱい触ってあげました。
なんかもう思い出せないくらい色々しました。エサも色んな種類のパウチを買いまくり腎不全用の毒素吸着する薬を混ぜて食べさせたり。白身魚をゆでてコンソメスープにしてあげたり。粉薬を蜂蜜と水で混ぜて注射器で飲ませたり。
毎日点滴に通って一ヶ月くらいして、タマは驚きの回復力を見せてくれました。
血液検査の結果の数値も改善していました。(といっても悪い事は変わらない)
お医者さんもあの状況から立ち直ったのは驚異です。って言ってました。
タマはとてもおデブだったので食べれなくても普通の子より脂肪で持ちこたえたのかもと笑ってくれましたw
数値は悪いけど自分でエサも食べるようになり、うんちも下痢じゃなくなり、お外に出してと玄関前でニャーニャー言うまで回復しました。
このまま長生きしてくれるんじゃないかって気がしてましたが、お医者さんに色々聞かされていたのでいつまた悪化するか不安は消えませんでした。
おばぁちゃんが退院してきて、今までどうりなタマとおばぁちゃんが再開できてホッとしました。
おばぁちゃんも手術後であまり歩けないのでタマの世話はできないのでしばらく一緒に住みました。
そして7月に結婚したので8月からはもうタマのお世話はおばぁちゃんに任せることになりました。
正直こんな時に結婚とか最低だなと思いました。(あまり責めないで)
おばぁちゃんちから離れたけどタマの病院は週に二回とかで通い続けました。
一時、目が大変な事になり失明の危機にもなったんですが目薬をさし続けてカーラー付けられて治りましたw
歯茎のせいで何回か顔が晴れるたびに抗生物質を飲ませたりはおばぁちゃんができないので私が飲ませたり。
日が経つにつれておばぁちゃんも注射器で薬を飲ませる事が出来るようになってきましたが。
そうこうしてるうちにまた体重が維持できなくなってしまって。
時々私が病院へ向かう時に痙攣を起こして苦しんだりするように。
7キロくらいあったおデブさんが
3キロ代に。。。
普通の猫と同じ体重になっちゃったね
ってふざけたことを言ったりしました。
気づけばもう一年です。
お医者さんもタマには驚きです。
あんな数値だったのに一年生きてるなんて凄いといってもらえました。
最後の方はもう血液検査はしませんでした。もう腎臓が限界でいくら検査しても数値が良くなることはないからです。
残りの腎臓がもうほぼないからです。
薄くなった血を無駄に抜きたくないし。
週に一回になっていた点滴もまた回数を増やすことになった矢先です。
タマが痙攣を起こしたって
電話があったけど。
今日は水曜日で病院が午後から休みとゆうタイミング汗
しばらく様子見ててもらってお母さんのツテで病院の人の携帯を知ってる人に連絡を取ったりして無理やり開けてもらえることに。
急いで走りました。
わたしん家からおばぁちゃん家まで30分
そこから病院までさらに30分
おばぁちゃんの家に着いてさぁ行こうと思った時に。
おばぁちゃんがタマの前で座ってて
指でバツを作って合図しました。
え??
って言ったがおばぁちゃんは声が出せないようで
やっとわかりました。
手遅れでした。
最初にもうダメかもと言われてた後に
覚悟は決めたつもりでした。
つもりはやっぱつもりでした。。。orz
いざこうなると何も
泣く事しかできません
毛布で隠されたタマの表情は凄く苦しそうに見えました。
今までにないくらい顔が腫れていて
口が開いたままでした。
まだ暖かくて柔らかかった。
まだ息するんじゃないかって思いました。
口を閉じさせても開いてしまうのを駆けつけたおばぁちゃんの妹がぐっと抑えて固定しながら一緒に泣いてくれました。
私がもっと早く家出てたらとか
なにか後になって後悔するようなことばかり考えてしまう性格で困ります。
この後おばぁちゃんがお花を買いに行くのと火葬するのに市役所に連れてってと言うので
タマを置いてすぐいきました。
たまの好きだった食べ物と
お花を買って
帰ってきたらまた寝てるんじゃないかとか思いながらタマを見ると
もう冷たく硬くなっていました。
でも最初見た時より苦しそうに見えなくなった気がしました。
思えば人間の判断で勝手に延命させて
点滴に薬に嫌な事ばかりして
本当にこれでよかったのかなって
おもってしまったり。。。
今までっすごく頑張ったタマに対してなんて失礼極まりないことを思ってしまったんだろう私は。ごめんよ汗
思い返して色々な思いがこみ上げてきました。
人と違ってとても強いと思いました。
自分で死にたいなんて絶対思わない
タマはどんなに痛くて苦しくても生きようとしていた気がします。
タマと過ごした日々で
健康の大事さや食べ物の大事さ
生きることを
再確認しました。
今まで頑張って生きてくれてありがとう
本当によく頑張った。お疲れ様。
おばぁちゃんも私も
タマの事がずっと大好きだよ
今頃兄弟のトラとあえたかな?
って思います。
この記事を書いたのは3月9日です。
その日に書くにも悲しくて無理でした
今やっと書けるけどやっぱり
涙が止まりません。
この件にウザいコメするのやめてね
されたら本気で反論しまs…せんw
なんかもっともっと色々あるけれど
文章に表すのって難しい
すごい勢いで思い出して書いたんで
誤字とかへんな文章お許しください